SAVE SENDAI 311

SAVE SENDAI 311代表からのメッセージ

SAVE SENDAI 311の活動を終えるにあたり



忘れもしない2011年3月11日の出来事。
それ以降、毎年3月になるとメディアはこぞって東日本大震災を話題にしてきた。それほどに、この時代を生きてきた人々にとっては未曾有の大災害だったことを意味している。実際、私自身もその瞬間、職場ビルの7階にいて、その1か月前に起きたニュージーランドのクライストチャーチでの大地震でビルが倒壊した映像を頭に思い浮かべながら、死がすぐそこに迫っているのを感じていた。揺れがおさまり、ビルの倒壊を免れて生命の危険が遠のいたものの、すべてのライフラインが遮断されて、それまで普通に生活していたことが、実は普通ではなく、パラダイスでの生活だったことを思い知らされた。

大震災の直後、海外の友人たちから次々と安否の問い合わせと支援の申し込みのメールが飛び込み、自分としても何かできることがないかと考え、支援組織Save Sendai 311を立ち上げることにした。画家の古山拓氏の協力を得て、支援活動をするためのシンボルマークを作成してもらった。古山氏は、大地震直後でアトリエが破壊され、大変な状況であったにもかかわらず、短時間でSS311のシンボルマークを完成させた。SS311の主な活動は、内外からの義援金の受け皿となり、困っている人々を支援するものであった。

SNSによって、SS311の情報を発信したところ、すぐに反響があり、多くの義援金が寄せられた。とりわけ、台湾矯正歯科学会から即座に100万円が口座に振り込まれたのには、とても感動した記憶が残っている。また、海外で講演をするたびに現地の学会や先生方から寄付を託されたことも懐かしい思い出である。

組織の運営は、私以外では、先の古山 拓氏、同僚の長坂浩氏、そして東京の友人である安香譲治氏で行うことした。安香氏には会計監査役をお願いした。震災直後の急性期には現地の前線で活動していた組織を支援し、不足していた物資の補給をお願いした。その後、落ち着いたところで、震災で親を失った子供たちを支援していた「こどもの村東北」や「虹色クレヨン」など、対象組織を絞って支援活動を行なってきた。10年経てば、ある程度復興が済んでいるだろうし、親を失った子供たちも自立しているであろうと想定して、SS311の活動は最初から10年間限定と決めていた。

あれから丸10年を迎えた今年3月11日、「こどもの村東北」に「虹色クレヨン」最後の寄付をして、予定通りSS311の活動を終えることにした。最近、立て続けに福島県沖と宮城県沖で10年前の地震の余震と言われる大きな地震があったが、津波と伴っていなかったことが幸いであった。まるで10年前の大震災を忘れるなという神様からのリマインドのように思えた。今後、あのような凄まじい自然災害が起こらないことを天に願うだけである。そして、これまでSS311を支援していただいたお一人お一人に心から感謝することをもって最後の言葉としたい。

                               Save Sendai 311 代表 菅原準二
                              (医療法人桃友会 歯科一番町・SAS矯正歯科センター)

sign

Copyright (C) SAVE SENDAI 311 All Rights Reserved.